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京都地方裁判所 昭和54年(ワ)442号 判決

原告

足立則明

右訴訟代理人

森本輝男

外一名

被告

日動火災海上保険株式会社

右代表者

中根英郎

右訴訟代理人

川瀬久雄

主文

1  被告は原告に対し金二五二万九五九〇円及びこれに対する昭和五三年一〇月一三日以降完済迄年六分の割合による金員を支払え。

2  原告のその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用はこれを三分しその二を被告の負担としその余を原告の負担とする。

4  本判決中原告勝訴の部分は原告に於て仮に執行できる。

事実

(請求の趣旨)

被告は原告に対し、金三九九万四三〇〇円およびこれに対する昭和五三年一〇月一三日より支払ずみに至るまで年六分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並に仮執行の宣言。

(請求の原因)

一  交通事故の発生

日時 昭和五三年五月一八日午前〇時三〇分頃

場所 綾部市高津町藤の木八番地先路上

加害車 京五六ね七三四一号(普通乗用自動車)

運転者 原告足立則明

被害者 亡大槻作一(足踏自転車)

二  示談と支払

本件事故により被害者は死亡したので、原告は、その相続人大槻くに(妻)、大槻長男(子)、大槻伊佐子(子)との間で示談交渉したところ、昭和五三年八月末頃次の内容で示談した。

(示談内容)

本件交通事故による損害賠償総額を、一五四九万八九五〇円と定め、すでに原告において支払ずみの四九万八九五〇円および被害者側が自賠責被害者請求により受領予定の一〇九〇万円合計金一一三九万八九五〇円を差引き、残額四一〇万円を同年九月六日までに支払う。

原告は右金員を同年九月五日支払を完了し、同年九月六日付で示談書を作成した。

三 保険契約

本件自動車については、被告との間に次の内容の自賠責保険契約が存在した。

証明書番号 〇一二―七三〇〇五四

期間 自52.3.8至53.4.8 各午前一二時

四 請求と支払拒絶

原告は右契約に基づき、昭和五三年一〇月一二日被告に対して保険金の支払を請求したところ、被告は昭和五四年二月二三日付文書をもつて治療費である一九万八九五〇円のみを認めその余の支払を拒否した。

なお、被告は被害者には、一一〇〇万五七〇〇円の支払をなした。

五 本件示談金額の正当性

(一)  被害者は事故当時七二歳の高齢であつたが、健康で家業の農業に従事する一方、綾部市農協理事、高津自治会長、綾部市圃場整備委員会常任委員、全綾部市自治連合会副会長、中筋公民館運営審議委員、市観光協会理事等地域の多数の公職に従事していた。

そこで、本件死亡による損害額としては、次の程度までは不当とはいえない。

(1)  逸失利益 五三三万五五九三円

昭和五二年版賃金センサスによる年収一九五万九二〇〇円プラス恩給減額分三四万四〇〇〇円合計二三〇万三二〇〇円を基礎として、生活費三五%控除、就労可能年数四年

2303,200×0.65×3.564=5,335,593

なお、逸失利益は、自賠責の最新の基準によると、四六四万円である。

(2)  慰藉料 一〇〇〇万円

(3)  葬祭費 五〇万円

以上合計 一五八三万五五九三円

(二)  他方、本件示談による総額は、一五四九万八九五〇円、このうち死亡によるものは一五三〇万円であつて、この額は右の範囲内であるから、過大なものとはいえないので、被告は保険金限度額である一五〇〇万円まではこれを填補する義務がある。

しかるに被告は、被害者に対し、前記の通り一一〇〇万五七〇〇円を支払つたのみで、右限度額までには相当の余裕があるのに原告の請求に応じないのは甚だ不当である。

なお、被告が右一一〇〇万五七〇〇円を算出したのは、いわゆる当時の自賠責保険損害査定要綱同実施要領によるものと思われるが、これは被害者を拘束するものではないことはいうまでもなく、またその内容は画一的で著しく低額にすぎて示談実務の実質に合わないことは公知の事実である。

六 よつて、被告の右支払額一一〇〇万五七〇〇円と保険金限度額一五〇〇万円との差額三九九万四三〇〇円とこれに対する請求日の翌日たる昭和五三年一〇月一三日より支払ずみに至るまで商事法定利率たる年六分の割合による遅延損害金の支払を求める次第である。

(被告の答弁と主張)

一  原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求める。

二  請求原因一、三、四は認める。同二は不知、同五は争う。

三  (本件の争点)

原告は、本件自賠責保険の外に京都府共済農業協同組合連合会の行なう自動車共済(所謂任意保険)にも加入していた。原告が被害者に支払つたという一一〇〇万五七〇〇円を含め、示談金総額一五四九万八九五〇円を自賠責保険、任意保険、原告の三者が各いくらずつ負担すべきかが本件の争点である。

(自賠責保険)

(一)  自賠責保険は、自賠法五条で締結が強制され、昭和五三年末現在で原動機付自転車を含め約四五〇〇万台もの自動車が右保険に加入しているところ、昭和五三年一年間の交通事故発生件数は、人身事故だけで四六万余件あり、死傷者数は六〇万人を超えている。その殆んどが自賠責保険を請求していると思われるから如何に夥しい量が自賠責保険に於て処理されているかがわかる。

(二)  自賠責保険は現実には、各保険会社(及び農協)が保険者となるが、加入の強制、営利性の否定及び政府が六割の再保険をしている等の性格上、損害の査定に際し、各損保会社に個々的な査定を行なわせるのは妥当でないとの点から各社が主務官庁より認可を受けた統一基準である自動車損害賠償責任保険(又は共済)査定要綱に基づき損害査定が行なわれている。そうして殆んどの損害会社は、損害保険料率算出団体に関する法律に基づき設立された特殊法人である自動車保険料率査定会に損害の査定を委託しており、これに基づき右査定会の出先機関である全国各地約八〇ケ所の自賠責保険調査事務所に於て実際の査定が行なわれている。

(三)  右のとおり、被害者間に於ける衡平を確保し、地域較差の発生を防止し、かつ、大量の事案を迅速かつ能率的に処理する為に統一基準たる前記査定要綱に基づき前記算定会に於て自賠責保険金の額が査定されており、現在迄の実績からその査定はほぼ妥当なものと評価され(成文堂刊金沢理著交通事故と責任保険一三九頁)、国民の間に定着するに至つている。

自賠責保険も当然乍ら損害保険であり、同種事故に遭遇することもあるべき多数人より事故発生の偶然率によつて算出された少額の保険料を集積し、これを保険料の総額として運用さるべきものであるから保険事故(危険)の範囲が可能な限り特定、定型化されていることが要請され、これによつてはじめて適切な保険料率の算定が可能となるのであり、更に同一の保険事故に対しては、同一の取扱がなされるべきものである(保険契約者平等待遇の原則)。

圧倒的多数の事案が、前記査定要綱に従つて処理されている実情に照らし、本件保険金額の算定に際しては、前記査定要綱に定められた基準から逸脱しないように留意しなければならない。

(農協共済)

(一)  原告は、農業協同組合の自動車共済に加入していた。これは、所謂任意保険と同一のもので農協が保険者となつているものであり、一般に任意保険に於ては総損害額より自賠責保険契約より支払われる額を差し引いたものが任意保険支払額となる。ところで、右の自賠責保険契約より支払われる額の解釈如何によつては自賠責保険査定額がその限度額内である場合に問題が生ずる惧れがある。即ち、任意保険会社は、自賠責保険に対してまず請求し、その限度額を全て使いきつてしまわなければ任意保険の支払には応じないとの態度をとる惧れがある。名古屋地裁昭和四八年一一月二日判決(交民集六巻六号一七六四頁)の事案がまさしくそうである。判旨は「自動車損害賠償責任保険と任意保険との関係については、妥当な損害額から自動車損害賠償責任保険支払額(若しくは支払われる額)を控除したものが任意保険の支払額となり、妥当な損害額が自動車損害賠償責任保険の限度額内であつても、自動車損害賠償責任保険の実際の支払額よりも大きいときは、その差額が任意保険の支払額となり、また、被害者加害者間の示談額あるいは和解額について、その額につき任意保険会社が承認したときは、現実の自動車損害賠償責任保険の支払額との差額を任意保険が支払うという商慣習に準ずるものが存在する」として任意保険の支払を命じたが正当である。

従つて、本件では、示談額と自賠責保険の査定額との差額三九九万四三〇〇円は任意保険たる訴外農協共済に請求すべきであり、その範囲内で妥当な額を農協共済が支払えば良いのであり、農協共済は、一〇〇万円支払うとのことである(原告本人尋問の結果)から、残り三〇〇万円弱は、原告本人が自己負担することとなり、これは、示談時の原告の意思と合致する。

(二)  原告は、農協の担当者に自賠責保険相手に訴訟を提起するようすすめられ、原告代理人を紹介されて委任状に捺印するに至つた。本来ならば、上積み保険たる農協共済に対し、示談額と自賠責保険査定額との差額三九九万四三〇〇円を請求すべきであつたし、自賠責保険に請求するとしても、少なくとも農協共済の自認額一〇〇万円との差額二九九万四三〇〇円を請求すべきであつた。しかるに、このように三九九万四三〇〇円全額の請求をなしたのは、原告が農協共済のダミーたる性格に因つている。即ち、農協共済としては、判決で額で定まれば、自賠責保険より支払われるのだし、判決認定額と示談額との差額は裁判所が認めないのだから任意保険でも支払う必要がないとして支払を拒絶するつもりであり、畢竟自己の支払を免れんがため本訴提起を原告に慫慂したのが本件の実態である。「(問)示談の話は誰がしているのですか。(答)私の方は、父と保険会社の人(農協共済担当者を指す)と被害者の方は長男の方です」(乙二)と農協共済自身、示談に介入している。それでいて、日頃標榜する「契約者保護」の結果が、自己の負担を免れるための本件訴訟の提起であるとすれば、何をか言わんやという外はない。訴外農協共済のかかるやり方は、前記名古屋地裁判決に於ける被告の主張と何ら変るところなく、もし、かかるやり方が是認されるとすれば、自賠責保険の査定額が、その限度額内の事案では、任意保険会社は、契約者に対する任意保険金の支払を拒み、契約者をダミーとする訴訟により任意保険金の支払を軽減又は免れようとすると思われるが、任意保険の性格からみて妥当を欠くこと言うまでもない。更に経済的利益は農協共済にあるのに、契約者が当事者となるという任意的訴訟担当の問題も生ずることを念の為指摘する。

(加害者)

本件事故に関し、原告は被告人となり、業務上過失致死として京都地方裁判所福知山支部に公判請求がなされ本件示談成立が斟酌されたため執行猶予の判決が言渡されている。本件示談金の内訳につき、原告が被害者や裁判所に如何なる説明をしたのか定かではないが、乙二号証によれば、保険からは一一〇〇万円で、四〇〇万円が自己負担であると説明していたように思われる。情状としては一般に、示談成立もさる事乍ら、自己負担をしたか否か、及びその額が重視されることを考えると、今回の保険金請求により自己負担を免れようとするのは虫がよすぎ、法感情として少なからず割り切れないものが残る。

(結論)

亡大槻作一の損害額算定に際しては、同人が高齢であることの外、乙一号証一項のうち、農業所得は、妻くにの労働寄与分が含まれているから控除する必要があり、又、恩給については、亡作一死亡により妻くにがその二分の一の額を遺族扶助料として新たに取得しているから右扶助料相当額は、逸失利益算定の際控除すべきである(最高裁昭和四一年四月七日判決判時四四九号四四頁)。

何れにせよ、本件は、請求額三九九万四三〇〇円から農協共済の自認した負担額たる一〇〇万円を差し引いた二九九万四三〇〇円について、「事後的処理として」、原、被告、農協共済の三者がどれだけずつ負担するのが既に述べた諸般の事情からみて最も公平、かつ、妥当かという問題に帰着する。

(証拠)〈省略〉

理由

一原告の請求原因一、三、四の事実は当事者間に争いがない。右の争いのない事実、〈証拠〉によると次のとおり認められる。

(1)  本件事故は原告が真夜中舞鶴から福知山へ帰るため加害車を時速六〇粁で運転中、カーステレオのテープを取換えようとして前方注視を怠つたため前方を自転車に乗つて進行中の被害者を3.8米の地点に接近してはじめて発見、急ブレーキをかけたが及ばず追突し被害者の大槻作一に頭蓋骨々折等の傷害を与え約一三時間後に舞鶴市大橋病院で同人を死亡せしめたもので原告は起訴された。

(2)  被害者は明治三八年一一月二七日生れ死亡当時七二歳で、旧制中学、京都高等蚕糸学校を卒業後徳島県県庁に一七年間勤め、同三重県で蚕具製作事業を営んだ後綾部市に帰郷し約六反の田畑による農業、養蚕、花蓆製作を営む傍ら、自治会長、農協理事等の公職を奉じ生前の年間収入は恩給が五七万九二五〇円、農業所得が三〇万五二二〇円、自治会長としての所得一七万二〇〇〇円、市の事務を手伝うことによる収入六〇万四二三七円の合計一六六万〇七〇七円であつた。このうち農業は妻と二人で行い娘の伊佐子が手伝うこともあつた。又作一の恩給の半額に当る年額三四万四〇〇〇円は引続き妻のくにに支給されている。

(3)  原告が起訴されたこともあつて被害者の遺族と原告の父との問で示談交渉が行われ昭和五三年九月六日一五四九万八九五〇円で示談が成立した。この中には自賠責保険から支払われた治療費一九万八九五〇円と受領予定の一〇九〇万円、原告が既に提供した葬儀費三〇万円を含んでいたので残りの負担分四一〇万円が農協を通じて被害者の遺族に支払われた。

(4)  原告は加害車の自賠責保険の外農協共済に加入し本訴はその農協共済の勧めで起し、同農協共済は一〇〇万円を出すといつている。

以上のごとく認められる。

右認定事実によると本件事故は原告の過失により発生したものであり、自賠法三条により損害賠償の責任があるところその損害は次のとおり算定するのが相当である。

二(1)  逸失利益

(被害者の年収)  一八〇万円

右金額は乙一号証による金額より稍多い金額である。原告は乙一号証は現金収入のみで農業による自家用食糧費は含まれていないから昭和五〇年版賃金センサスによる平均収入によるべきであるというが農業収入は亡作一のみならず妻や長女の貢献もあつたから亡作一のみの貢献ということはできず、こうした諸事情、亡作一の年齢等を考え年収一八〇万円を以て相当と認めるがその中の恩給の半額は被害者の妻に支給されることになつているのでこれを差引くのが相当である。

(生活費控除)  三分の一

(就労可能年数)  四年

(ライプニツツ計数)

3.5459

(2)  慰藉料 一〇〇〇万円

亡作一は一家の中心的存在であり、又逸失利益の算定が技術的に前記のような金額となる点から見ても慰藉料は一〇〇〇万円とみるのが相当である。

(3)  葬儀費 五〇万円

亡作一の社会的地位その他からみてこの程度の金額は相当である。

(4)  右(1)(2)(3)の合計

一三五三万五二九〇円

三右の損害金に対し被告が自賠責保険から一一〇〇万五七〇〇円を支払つたことは当事者間に争いがないので残りは二五二万九五九〇円となり、これは当時の自賠責保険の限度額一五〇〇万円以内であるから被告は右の二五二万九五九〇円を支払うのが相当である。

四本件事故のごとき場合、原告のような加害者と任意保険者は自賠責保険から支払われる金額を勘案し協議の上被害者側と示談するのが通例で本件のように自賠責保険加入者が更に自賠責保険を請求する例は余り多くない。それは自賠責保険は自動車保有者が強制的に加入せねばならぬ政府管掌の保険でいわゆる営利のための企業とは異り原資に限りがあるので被告らが自賠責保険査定要綱に基づき全国的な統一基準により自賠責保険金を支払つて損害の補填を行いそれ以上の損害金は任意保険と加害者自らが負担する取扱が全国的に定着し多数の事件解決に寄与しているからに外ならず、又自賠責保険は政府管掌の保険であるため保険料が比較的低額であることもあつて示談の場合に於ても自賠責保険からの支払だけで示談を成立さすことは加害者に直接の負担とならないため、これだけで示談成立とすることに被害者側の感情上の抵抗があることも当裁判所に顕著である。

しかして自賠責保険査定要綱に基づく取扱いが全国的に定着しているといつてもその査定に基づく金額が裁判所を拘束するものではないから裁判所が算定した損害額にして自賠責保険の限度額以内なら自賠責保険もこれに従うべきであり、本件訴訟の原告が加入している農協共済が限度額幾ら迄を補填する契約があるのか明らかでないが、それは当裁判所の関知するところではない。

五よつて原告の本訴請求は被告に対し二五二万九五九〇円及びこれに対する原告が被告に請求した昭和五三年一〇月一二日の翌日より完済迄所定の年六分の割合による遅延損害金の支払を命ずる限度で理由があるのでこれを認容し、その余は理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担等に民訴法八九条、九二条本文、一九六条一項を適用して主文のとおり判決する。

(菊地博)

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